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会長挨拶

 近代医学を欧州がけん引していた時代から米国に移った1930年代にカナダのW.Penfield教授によってawake surgeryは脳機能を検討するために多くの手術がなされ、多くの業績を生み出した。局所麻酔が発達した結果とも思われる。その業績は現在でも十分に通じる学問内容で、最終的には「意識から心」まで脳の機能を突き詰めた素晴らしいものであった。

 その後、1980年代後半、米国シアトルのワシントン大学のT.Ojeman教授たちが悪性脳腫瘍の摘出術に盛んに施行し現在のawake surgeryに繋がった。ここでも、発展した原因には鎮静剤であるプロポフォールの市販化が影響している。プロポフォールの臨床導入によってawake surgeryはそれ以前と比較して各段と容易になったのである。米国でのプロポフォールの導入は1989年であり、日本ではそれより約6年遅れ1995(平成7)年12月であった。

 日本での最初のawake surgeryは1995年に鳥取大学脳神経外科教授(当時)の堀 智勝(後に東京女子医科大学教授)が、脳機能マッピング/モニタリングを目的として行った。側頭部の髄膜腫症例に対する覚醒下手術であった。堀はT.Ojemanの下にいたM.Bergerのもとで覚醒下手術を習得した。

 堀の手術の翌年の1996年にAwake surgeryの主対象疾患である神経膠腫に対して、最初のawake surgeryを行ったのは東北大学助手(当時)の隈部俊宏(現北里大学教授)であった。左前頭葉弁蓋部退形成性星細胞腫に対して、awake surgeryを用いて摘出術を行った。隈部もM.Bergerのもとで研鑽した。

 その後、徐々に日本の脳神経外科の施設で覚醒下手術が普及し、各施設での経験を集め勉強する目的で、東京女子医科大学教授の髙倉公朋の発案で、山形大学教授の嘉山孝正が会長に指名され、2003年に日本Awake Surgery研究会が創設された。高倉は日本で実質的な医工連携研究を組織的に実行した学際的研究者の先駆者であった。従って、嘉山は会員を、単に「脳神経外科医」「麻酔科医」「神経内科医」を混合させるだけではなく、分野別に研究班として位置付け、学会での成果を形にするように指向した。能書きだけの学際的学会は数あまたあったが、機能として多分野を一つの課題(issue)の為に統合したさきがけの研究会とした。

 研究会の指向を脳神経外科医だけではなく、麻酔科医、高次脳神経内科医も良く理解したために2012年に本研究会は、英・和で“The Guidelines for Awake Craniotomy”をNeurologia medico-chirurgicaに公表した。このガイドラインは麻酔・手術・機能評価と、細かく覚醒下手術の方法論をまとめた世界的にも貴重なものである。このガイドラインをもとにして、覚醒下手術は急速に広まった。

 本研究会は2013年に学会となり、日本脳神経外科学会の分科会に承認された。その後、本学会の行う研修会を受講すれば保険治療として行えるようになった。それまで、先進医療として何年も診療報酬収載されないで行われていた医療業務がこのシステムで、質の担保もでき患者さんへの経済的負担も解消された。日本で最初の先進医療を診断報酬に認可する雛形(モデル)となった。日本脳神経外科学会の先駆性を表している。

 覚醒下手術はその後成熟期に入り、各施設に合った方法が確立し、複雑な脳機能を解析できるようになった。特にさまざまな皮質下線維機能に注目が払われるようになったことと、腫瘍摘出において機能的摘出境界決定という考え方が提唱されたことは重要である。

 今後の発展としては、脳腫瘍摘出術、てんかん外科手術のみでなく他分野でも「意識」や「脳・神経機能」を知ることが手術に必要で有益な疾患に応用されていくであろうと考えられ、更に大きな未来を開拓していかねばならないと思う。会員の更なる刻苦勉励を期待したい。

日本Awake Surgery学会会長
嘉山 孝正